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マミ先生、実は歴数十年の筋金入りアライ
アライというのは、LGBTQを理解し支援する人のこと。英語のアライアンス(同盟、提携)からきた言葉です。
昔はそんな呼称はなかったけど、心情的にはもうずーっと、十代の頃からの筋金入りのアライでした。だから性的マイノリティ周辺の基礎知識や課題について充分知っているし、インターネットがない頃に、(本人曰く)おちんちんがついた女の子と文通したりもしていました。
なんで自分がアライになったのかはわかりません。心の赴くままに生きていたらそうなっただけ。
統計的に、LGBTQ=性的マイノリティは20人に1人の割合と言われています。となると、小学校の1クラスの児童数は30人前後ですから、その素質を持っている子どもは、クラスに数人はいるわけです。
しかも、そのうちの多くの人々が自殺を考えた経験があるとのこと……。
筋金アライ教師としては、その子たちが何も知らないまま、中学生、高校生になって、自分の性的特性に気づいた時、ひとり苦しむことのないようにしてやりたい。
そのためには、小学生の時にこの課題に触れさせておかなくては。
とはいえ、お堅い教育業界でそれを授業にするのはまだまだハードルが高かったので、私は、子どもたちとの休み時間の会話の中で、機会があるごとに「男の子が女の子を好きになるとは限らないよ」とか「身体は女の子でも心が男の子という場合もあるよ」とか、地味にLGBTQ的認識を忍ばせていました。
ところが、2010年代後半になると、なんと、東京都の教員研修に性的マイノリティ理解が組み込まれたり、区の教育長主催研修にアライの活動家が招かれたりするようになってきました。
とうとう機が熟したのです。
「これは、もう学校教育でそのことを扱っていいってことね!」
私はそう判断し、さっそく、LGBTQ授業の良い方法は何か、と模索し始めました。
L=レズビアン。レズは蔑称。G=ゲイ。ホモ、オカマは蔑称。B=バイセクシャル。T=トランスジェンダー。おなべ、オカマ、ニューハーフ等は蔑称。性同一性障害は診断名。Q=クイア。セクシュアリティに違和感を持つ人の総称。LGBは、性的指向、Tは性自認、これらを、性的マイノリティ(少数者)として大きく括っている。最近は、SOGI(Sexual Orientation & Gender Identity=性的指向と性同一性)という言い方が国際的に使われるようになっている。
シゲ先生発見!
さて、どのように授業をするか。
できれば当事者に会わせたい。当事者と会った経験さえあれば、後々、自分が性的マイノリティだと気づいた時に、一人じゃないと安心できるはず。
総合的な学習の時間の外部講師を招く予算でレズビアンの知人をゲストとして招こう、と最初は考えていたのですが。
皆さんご存知の通り、小学生、特に低学年にモノを教えるというのは、一種の特殊技術ですよね。
飽きさせず、わかりやすく、つぶやきを拾いながら……。
こういう時に、今の時代は便利ですね。
通勤の電車の中でスマホを出してシャッシャッって検索すればいいんだもん。
学校の行き帰りに、検索、検索……。
そして、スマホの中にシゲ先生(鈴木茂義さん)を発見した時は驚愕しましたよ。
この人、ドンピシャじゃないですか!
ゲイをカミングアウトした小学校の先生ですって!?
まちには様々な人が暮らしており、その中には、社会的弱者、少数者として、生きづらさを抱えている人もいます。社会的弱者、少数者とはどういう人たちなのか、その人たちが困っていることは何か。いろいろなゲストを招いたり、いろいろな場所に出かけたりして、それらを半年間かけて学びました(残りの半年のテーマは「国際理解=世界のダイバーシティ」)。
授業タイトルは「なかよし大さくせん~目に見えるちがい 目に見えないちがい~」
2018年2月28日。
個人的には、当事者が小学校3年生にLGBTQを伝える授業をした、という画期的な記念日だと思っています。
一年半後の2019年10月現在では、テレビにも出て全国的に活躍をしているシゲ先生にとっても、人生初のLGBTQに関する授業だったそうです。
授業のタイトルは「なかよし大さくせん~目に見えるちがい 目に見えないちがい~」。
総合的な学習の時間「まちの人々のダイバーシティ」の中の一コマとして行いました。
シゲ先生、カミングアウトして職を辞するまでは、バリバリ担任をしていた方なので、しっかりとした指導案まで作ってくださり、もう45分全面お任せ状態です。
ねらいは
●人々の性が多様であることを理解する。
●自分の生き方も他者の生き方も同じように大切であることを知る。
●人々と共存することについてポジティブに考え、自分にできることを考えることができる。
流れは、
●ゲストがクイズ形式で自己紹介をし、
●その中で性の多様性についても伝え、
●それに対する質問を通してLGBTQ理解を深め、
●人には目に見えるちがい、見えないちがいがあることを理解し、
●いろんなちがいを持つ人と仲良くする方法を考え
●自分の考えを伝え合う。
授業の中でゲイであることを伝える設定なので、子どもたちはLGBTQに関する授業とは知りません。
シゲ先生がLGBTQと教育を通じて伝えたいのは、お互いを認め合う土壌、あなたも大事、あなたの隣の誰かも大事、ということ。逆に、お互いを認め合う土壌があれば、LGBTQ理解はスムーズに確実に浸透していくはず。今思うと、すでに初めての授業で、シゲ先生のそのコンセプトが色濃く出ています。
子どもたちの見事なスルーっぷり
シゲ先生、授業上手い!
初めて出会った子どもたちを、すぐ釘づけにして、順調に予定通り授業が進んでいきます。
そして、一番大事なところに差しかかりました。
私たち大人としては、シゲ先生が「好きな人が男性だから結婚できない」とカミングアウトしたところに子どもたちがひっかかって、それに対する質問がたくさんあって、LGBTQ理解を深める……予定だったんですけど。
ここでアクシデント発生!
子どもは、こちらの予想と反して、そんなことにはぜんぜんひっかからなかったんです……。
実際のクラスの様子を再現すると。
シゲ先生「ぼくにはすきな人がいます。でも、その人とけっこんできません。それはなぜでしょう?」
子ども達「ペットだから」
シゲ先生「ちがいます」
子ども達「きょうだいだから」(これも結構刺激的な答えでしたけど)
シゲ先生「ちがいます」
子ども達「男同士だから」
シゲ先生「そうです」
子ども達「へーー」(あ、そっかー。で、次のクイズは?)
こんな感じ。
こちらが想定したひっかかりどころを、子どもたちは見事にスルー。
ああ、正解でちゃったか。じゃあ、次の問題で頑張ろうっと。クイズ面白いから、もっとたくさん問題出して!
と言わんばかりの顔で待っている。
あのシーンを見た時の、じわじわと湧きあがる得も言われぬ感覚は忘れられません。
偏見がないってこういうことなのかなーと思い知りました。
男同士で好きになるというのは”普通”ではないという感覚は、子どもたちのなかに既にあるとは思うのですが、だからといって、大してこだわるところじゃないらしいです。
それより、シゲ先生の楽しい授業で、クイズに答えることが続けたい。
もっといろいろ教えてほしい。
というわけで、授業は、ホントにシンプルに「なかよし大さくせん」として成立してしまったのでした。
ストレート(異性愛者)なのかゲイ(同性愛者)なのかってことよりも
シゲ先生には給食を一緒に食べてもらったのですが、そのときも、シゲ先生がどのグループとともに座るかの取り合いがたいへんでした。
そして昼休みには、文字通り鈴なり状態。遊んで遊んでの大合唱。
面白くてシュッとしているシゲ先生は、子どもたちに大人気。
シゲ先生曰く
「子どもたちには、ぼくがゲイであるかどうかっていうことよりも、休み時間に一緒にドッジボールをしてくれる先生なのかどうかっていうことの方が、ずーっと大事な情報なんですね」
ゲイをカミングアウトすると「気持ち悪い」なんてひどい言葉を浴びせられたり、なんとなく避けられてしまったり、なんてことがあると聞きます。
でも、少なくともこの時の3年生たちは、全くそんなことはなかったです。
それどころか、もうホントに全員が、最後までシゲ先生と触れ合いたくて仕方がないという様子でした。