家族支援@学校
ー保護者対応から、保護者理解・保護者支援へー
保護者を支援する

学校の福祉的役割~学校が家族支援のハブ(拠点)になる!?~

コロナ禍(2020-)を経て、世の中が「学校の福祉的役割」に気づいたそうで。

mami
mami
また、「だから言ったじゃん」って言いたくなっちゃう笑。

このサイトについてで書いたように、
学校って、地域の学童期の子を持つ家族をほぼ把握しているという意味では、とてつもない家族支援リソース(資源、あるもの、使えるもの)。
というわけで、「学校の福祉的役割」について、考えてみました。

時代的社会背景

a old woman
a old woman
昭和の頃はね、ご近所とか実家とか親戚とかが、困った時にはすぐに助けてくれたもんですよ
mami
mami
そういうイメージありますね・・・少なくとも、3世代同居とか専業主婦家庭とかがあって、一軒家が多かったころは、お互いの暮らしが見えてたというか。車も少なくて、私も、近所の子供たちと家の前の道路で遊んでいたもんなー。近所の新婚家庭に赤ちゃんが生まれたと聞いて、毎日入り浸ってたりもしたなー。

ところが、令和の今は……、

本来であれば家庭や地域でなすべきことまでが学校に委ねられることになり、結果として学校及び教師が担うべき業務の範囲が拡大され、その負担が増大(「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと、協働的な学びの実現~(答申)【概要】2021より)

とにかく今は、平日の昼間にいる大人が、圧倒的に少ない。
いても、マンションという住居形態だったり、コンビニでなんても調達できたりするから、
隣近所とコミュニケーションしなくても生きていけてしまう。

都市部の学校や公的機関が「地域の人々」と呼ぶのは、ごくごく少数の限られた人達で、実際は、住民のほとんどが自分の住んでいる場所の地域とは無縁に生きている。

この状況下で、昭和だったら隣のおばちゃんがなんとかしてくれていたことも、近所のおじいちゃんがやってくれていたことも、子どもたちは、学校以外に頼るところがない。
子どものことなら寝食を忘れて没頭してしまう。
学校/先生のほうも、そんなイメージに引きずられて、それを、なんでもかんでも引き受けてしまった……。

答申を私の言葉で語ると、「今」はこんな感じだと思います。

学校が家族支援のハブ(拠点)になる!?

本来は必要なのに福祉に繋がっていない家庭も、義務教育ですから、学校には繋がります。
しかも、(国立や私立の小学校に行ってしまった子どもは無理かもしれないけれど、)小学校は、その地域のいろいろな幼稚園保育園に行っていた子も行っていない子も集約されるから、地域の子育て家庭を俯瞰できます。

考えてみれば、今まで学校のこのリソースが注目されていないこと自体、従来の狭義の家族支援ではなくて、私の言うすべての家庭への家族支援家族支援という発想がなかったっていう証拠かも……。

家族支援がなくても、あるいはほんの少しで大丈夫な家庭も多いでしょう。
ただ、自分からは申し出ない人にもアウトリーチをして、必要な支援を必要なだけ提供するためには、まず、子育て家庭の存在を把握しなくてはなりません。しかも、学校には子どもが毎日通ってきますし、保護者会や個人面談もありますから、学校は、存在だけでなく個々の家庭の様子も把握しやすい。

支援という言葉を批判する考えもありますが、ここでは、人/家族がエンパワーするための条件整備という意味合いで使っています。詳しくはこちら

そういう意味で、学校は家族支援のハブとなり得るのです。

けれど、教員に福祉の専門性はありません。

スクール○○○登場

そこで登場するのがスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー。
ちょっと角度ちがうかもだけど、スクールロイヤーも登場しつつあります。

mami
mami
なんでカタカナなんだろ。学校公認心理師、学校社会福祉士、学校弁護士じゃだめなのかな?
coworker
coworker
……それ、どうでもよくない?

それから、関係機関と学校の連携も言われています。
要保護児童地域対策協議会とか子ども家庭支援センターとか児童民生委員とか…。

また、学校自体がコミュニティスクールに変わって、地域コミュニティの中心になることも推奨されています。

mami
mami
でもさあ、それってけっこう前から言われてきたことだし、実際に少しずつ学校現場に導入されているけど、結局、予算が少ないから常勤化できず、いつまでたっても十二分に行きわたらなくて、それは、これから先だって同じだろうと思う。
coworker
coworker
じゃあ、予算が潤沢について理想通りの形が実現して、充分な人材と連携がすべての地域に行きわたったら、理想の家族支援が実現するってこと?
mami
mami
それがさ……私には、そうは思えなくて……

繰り返し言っていることだけれど、家族支援って、肩書でも専門資格の有無でも、施設でもシステムでもなくて、だから。
先生だろうと、スクール○〇〇だろうと、地域住民だろうと、みんな同じ。実際に、本気で心を寄せて、ありのままを受け止めて、その人自身がエンパワーする支援をアレンジできる力を持ってなかったら、たぶん役に立たない。
逆に、そういう力がありさえすれば、先生だって、スクール〇〇〇だって、地域住民だって、誰だって家族支援の大きな力になる。

それを考えると、教育や福祉に予算をつけてもっともっと手厚くしてほしいという想いと同時に、
スタッフを潤沢にしてシステムを整えることだけが正解なのか?
とも思ってしまうのです。

coworker
coworker
ところでさー、ずいぶん偉そうに言ってっけど、自分はそういう家族支援の力を持ってるって自信持ってるわけね
mami
mami
ハッ。まあ、その……確かに正直言うと、昔は若気の至りで失敗もあったけど、さすがに今はだいぶイケてるんじゃないかと……汗

優しい人が増えればいい

my friend
my friend
そんなんなー、学校とか関係なしに、みんながほんのちょっと自分の周りのためになにかすればええだけちゃうのん? みんながやったら、支援の小さい輪がそこらじゅうにできるやん。その輪がたくさんあればええだけやん

これは私の友達の言葉。

彼女は、学校関係者でも福祉関係者でもないのだけれど、いつも、たまたま知り合った”困っている人”のために、当たり前みたいに奔走している人。知り合って20年近くなるけど、ずーーーと、そう。私もワンオペ育児の時に、彼女がどれだけ力になってくれたことか。同じ年ごろの子を持つ者同士だから、自分だって子育て大変だったのに。

ホントその通りなんだよね。

支援のセオリーを知らずに、支援する人もされる人も傷ついて終わる例を何度も目にしてきたから、家族支援理論を広めたい!って思っているけれど、理論なんかなくても、さりげない優しさとか心遣いとか、支援が天性でできる人がいる。
そういう人がいっぱいいれば、哀しい事件が起きる前に、なにか小さな良いきっかけを創り出すことが増えていくかもね。

学校は、そういう人のたまり場になればいいのかな?