4月。学年開き。
まだトラブルもクレームもなにもない、まっさらなときに、あらかじめ保護者と先生で共有しておくとよいと私が思うことを並べておきます。
これを共有しておくことで、1年間保護者との関係を良好に保つことを目指します。
いくつか拙著の内容と重複しますが、ご容赦を。
Contents
●年生の発達ってこんな感じ
これは意外と先生方に知られていないと思うのですが、保護者は、自分の子どもの年齢に応じた発達段階の知識をあまり持っていません。
幼児の頃までは、明らかに大人とは違うイキモノですから、大人とちがう存在として認識できています。けれど言葉が通じて何年も経ってくると、子どもを、自分と同じ感覚を持つイキモノと勘違いしてしまいがちなんです。
けれど、子どもは大人とは違います。しかも、低学年には低学年の、中学年には中学年の、高学年には高学年の発達特性や行動特性と言うものは歴然とあるわけで。
このことをきちんと共有しておくと、その後の話し合いがスムーズです。
子どもの発達特性を理解して、それを前提にして、話し合うことができますから。
先生と保護者の前提知識が違うと、なにか起きた時の話し合いが、いたずらにすれ違ってしまいます。
それぞれの学年の発達特性の詳しいことは、長くなってしまうし、たくさん専門書が出ていると思うので、ここでは説明せずそれらに譲ります。
ちなみに私は、多賀一郎さんの「学校と一緒に安心して子どもを育てる本」(小学館)を紹介することが多いです。
私達は同じ目標に向かう仲間です
「保護者対応」と言う学校用語が表すように、先生と保護者は、向かい合う存在とイメージしがち。
でも実際は、そうではなくて同じ方向を向いている間柄なのだと予め伝えることによって、そのイメージを壊してしまおうという試みです。
「子どもの善い育ち」という目標に向かって、手を取り合って肩を並べて歩いているイメージを持ってもらうのです。
今あるイメージ自体、実は間違っています。
話の分からない先生もモンスターペアレントも、実際にはほとんどいないし、先生と保護者が協力し合って子どもを育てていくのは、本来、当然のことですよね。
それなのに、少数の伝わりあえないケースのイメージばかりが独り歩きしている。
どうしても伝わりあえないことももちろんあるけれど、それはレアケースで、違う問題をはらんでいて、別のアプローチが必要い。
それを般化してイメージしないように。
まずは信じあうところから始めます。
子どもは3つの顔を持っています
年度当初に必ず、「子どもは、親に見せる顔、先生に見せる顔、友だちに見せる顔、の3つを持っています」と説明します。もっと言えば、自分だけの時の顔もあるかもですね。
これを予め伝えておけば、保護者も、最初からそういう目で子どもを見るので、誤解が生まれにくいです。
また、
学校での立ち居振る舞いと家でのそれが違っても、「そう言えば、3つの顔があるんだっけ」と了解してもらえます。
友達とのトラブルの際も同様です。
子どもの話は、まるで小さな曇りガラス
普段の保護者の情報源は、ほぼ、子どもから聞く話だけなのですが、彼らは、それをまるで大きくてクリアなガラス窓から覗くようなイメージで聞いています。
けれど実際は、子どもの話は小さな曇りガラスの窓から覗くように不確かなもの。
主観と想像が組み合わされて、いつのまにか客観的事実から変質していることがほとんどです。
このことも、なにも起きていない最初の段階で、しっかり共有しておきます。
そうすれば、子どもの言っていることと事実が違うという現実が、受け入れてもらいやすくなります。
どんな小さなことでもすぐにご連絡ください
上記に加えて、このようにお伝えすることも必須です。
子どもの話は小さな曇りガラスですから、何か気になることがあれば、小さなことでもすぐに担任に客観的事実を確認してもらうようにお願いしておくのです。
そうすれば、大きな問題に発展することはまずありません。
その他にも、要望や確認、こんなこと聞いていいのかな、と思うこともすべて、お知らせくださいと伝えます。
小さな不満がたまっていくと、大きな不信につながって、修復するのがどんどん難しくなってしまいます。
また、
不思議なもので、このようにお伝えすると、逆に安心してくださるのか、意外と連絡が来ることが少ないんですよね…。
マイナスの体験は宝物
保護者、とくに1年生の保護者の方は、お子さんのことをとても心配しています。
「勉強についていけるだろうか」「友達とうまくやれるだろうか」等々。
そんな保護者の方に必ず伝えるのがこの言葉です。
「もちろん、たくさんの子どもが一緒に学ぶ場なので、お子さんの思い通りにはいかないこともあるだろうし、辛い体験もするかもしれません。それがその子の精神を脅かすようなひどいことなら話は別ですが、多少のマイナス経験は、むしろ成長にとっては宝物です。『ウチの子なら大丈夫』とご自身に言い聞かせ、子どもが自分の力で乗り越えるのを、見守るようにしてください。」
私は、特に低学年のうちに、マイナスの経験を自分自身で乗り越える力をつけさせたいと思っています。
その経験を経て、高学年でいじめなどに直面したとき、はっきり「嫌だ。」と言えるようになってくれたらいいなあと思います。
1:30は1:1には敵いません
これも意外と保護者の方は意識から外れがち。
「1人で30人の子どもの面倒を見ている状況を想像してみてください」なんて言うと、アッと言う顔をされます。
でも「こちとら30人も面倒見てるんですよ!」って恩着せがましくすることがこれを伝える目的ではなくて。
おうちで勉強や生活習慣をしっかり面倒見てもらっている子とそうでない子では、どうしても学習状況に差が出てしまいます。クラス全体を見ているとそれは顕著です。
これが不憫なので、「なるべくおうちでも見てあげたほうがいいですよ」と伝えたいのです。
なにを隠そう私自身が、過去に子ども任せの子育てをしていて、今、先生になって「あー、家庭でここまでやるべきだったんだな」と反省することが多いので、私と同じパターンに陥らないように、予め伝えてあげたいと思って……。
もうひとつ。
1:30の教室では、子どもの些細な心の機微までは見きれずに、
って突然言われてしまい、
というしかないときの弁解にも使いますー(^_^;)。
子どもの「いる」を喜んで
保護者の方は、学校のことをいろいろ心配するけれど、子ども子育てを考え続けて30年の私に言わせれば、やっぱり、子どもに大きな影響力を持つのは、ダントツで家庭(またはそれに代わるもの)なんですよね。
子どもが善く育つには、家庭(またはそれに代わるもの)がいつまでも変わらず、子どもの「いる」を喜んでいる、それがなによりも効果的。
ところが、最初は生まれただけで喜んでいたはずなのに、保護者はだんだんと「〇〇ができるようになってほしい」「××をがんばってほしい」と思うようになります。小学校あたりから、これは顕著になっていきます。すると、赤ちゃんのころは手放しの愛情だったはずが、「~ができないと」「~でいないと」という条件付きの愛情に変わっててしまうことがあるのです。
だから、なによりもこれだけは絶対に伝えたい。
どうか、子どもがそこに「いる」こと、それを、いつまでも喜んでいてください!