家族支援@学校
ー保護者対応から、保護者理解・保護者支援へー
マミ先生の教室

子どもになにかを聞かれた時、よく使うお返事について

たぶん、一日に一回以上は聞かれていると思う。「先生、●●はどうすればいいですか。」
そして、ほとんどの先生方は、その都度、適切な答えを用意していると思います。
もちろん最初は私もそうやってがんばっていました。けれど、だんだん、同じお返事をするようになりました。
そのお返事とは……。

「どうすればいいと思いますか。」

ひとつめは、「どうすればいいと思いますか。」

「どうすればいいですか。」と聞いてきた子どもにこう返すと、「きょとん」とした顔をします。先生という権威からの明確な答えを求めていたのに、そのまま聞き返されちゃったのですから当然です。
でも、子どもがすごいのは、ここで、すぐに切り替え、自分なりの答えを探し始めるところです。
さらにすごいことに多くの子が、確実に私の浅智恵より適切な、あるいは機転の利いた答えを導き出します。
これに味を占めて、「どうすればいいですか。」と聞かれたときには、まずはこのセリフで返すようにしています。
もちろん、どうすればいいのか全く分からず、困り顔で立ち尽くす子もいます。
そんなときも、しばらくは考えさせるようにしています。そして、頃合いを見計らって、「先生の意見は●●だけど……。」と伝えます。
すると、その子はホッとして「じゃあそうする。」とにっこり笑います。

「それは先生に聞かないで。」

ふたつめは、「それは先生に聞かないで。」

たとえば、学校の決まりは「休み時間は外で元気よく遊ぼう。」だけれど、どうしても教室内でお絵描きがしたい子が、真面目に「先生、どうすればいいですか。」と聞いてきたときなど、”学校の決まり”には抵触するけれど、明らかに問題のない行為については、こう答えることもあります。
私がこう答え続けていると、勘のいい子がやがて、「先生に聞くとダメって言わなくちゃいけないけど、内緒にしてあげるからやってもいいってことなんだよ!」と周りの子に教えはじめ、あうんの呼吸が生まれます。
ただし、このやり方は、きちんと学級の秩序が保たれ、全体としてはルールを遵守している学級で、いわばハンドルの遊びのようなイメージで使ってください。

「どうすればいいですか。」を子どもが多用する理由

そもそも、「どうすればいいですか」を子どもが多用するのは、私に言わせれば、自己防衛です。
子どもは、家でも、保育園幼稚園でも学校でも、「●●しなさい。」と言われ続け、たとえ言われていなくても、ある程度の決まりの中で動く習慣をつけられています。そして、下手をすると怒られるリスクがある。そうなると、最初から正解を把握して、その通りに動いて怒られるリスクを避けたい。だから不明瞭なことに関しては「どうすればいいのか。」を「先生」に確認したいのです。
こう書くと、

child workers
child workers
今の教育が「どうすればいいですか。」って聞いてばかりの指示待ち人間にしてしまったんだ!

という人々が、必ず登場します。
でも、
・平均大人1対子ども30の人員配置で、学習の保障をする
・安全管理の責任がある

という現行の条件下で、かろうじて教育と安全が両立できているのは、子どもたちが指示に従って動くことを了解してくれているから。
なかには、発達障害等の関係でそれができない子がいる時でさえ、多くの場合、担任1人で対応するのです。

mami
mami
だから、教育について意見があるなら、 とりあえず、月に1,2回でもいいから自分の仕事を休んで、学校に手伝いに来てくれればいいのに、と思うんだよね
mami
mami
あるいは、保護者や世の中が怪我の責任を問わなかったら、もっと子どもに自由を与えてあげられる。学校に安全管理が厳しく求められていると、危険が予測されたら禁止せざるをえない。たとえば木登りとか、ホントは子どもたちにやらせてあげたい。

 

今(2024)の学校が抱える矛盾にささやかな抵抗を

一人の大人が30人くらいの子どもたちの安全を保障しつつ、学習を提供するって、シンプルにそれだけで大変な仕事。
でも今は、その上、多様な子どもたち一人一人に個別の対応が、そして、教えられたことを身につけるのではなく、目の前のことに対して自分のアタマで対処する力をつける教育が求められています。
つまり、システム的には、子どもにある程度ルールや指示を強いないと機能しない状態が温存されているのに、ソフト的には、そのシステムに合わない教育が求められているわけで。

mami
mami
1対20くらいだったら、たぶん全然イケる気がする

真面目な(ホントよ)私は、この矛盾の中で、新しい日本の教育目標を実現すべく、日々「どうしたらいいですか。」に、「どうすればいいと思いますか。」と返して、ささやかに自分のアタマで対処する力をつける努力をしているわけですよ。
「それは先生に聞かないで。」も、多様な子どもたち一人一人に個別の対応といえばいえるのかもしれません。

余談ですが

というわけで、学校や教育の世界って、「アタマ」や「クチ」が多くて、「手」「足」が少ないなあ、と思っています。つまり、学校や教育に意見を言う人は多いけれど、実際に学校に来て毎日子どもとまみれてくれる人は少ない……。