家族支援@学校
ー保護者対応から、保護者理解・保護者支援へー
保護者を支援する

「教育と福祉の連携」がだいじって世間は言うけど動いてくれるわけではない(いっしょにやろうよ)

mami
mami
世間だけを責められない。「教育と福祉の連携」がだいじって言っているのに、ちゃんとやれていない筆頭は私です。
だめじゃん!
mami
mami
だめなんだけど、みなさん同様、学校内業務だけで1日12時間労働だから、連携、ほんの少ししかできてないです……。

「教育と福祉の連携」がだいじって世間は言うけど動いてくれるわけではない

学校は、子どもにまつわる悲しい出来事の種を見つけ、そしてそれを防ぐことのできる、格好の場所。

けれど、学校には家族支援機能はありません。本来学校は、子どもを教え育む場所だから。
というわけで、支援が必要な家族があれば、教育は速やかに福祉と連携するべき、と私も思っています。

でも、メディアやSNSでそんな論調に触れると、もやっとしてしまう。

だって、「教育と福祉の連携を!」ってみんな主張はするけれど、実際にそれを地道に手伝ってくれるわけではないんですもん。

だって、それは、あなたたちの仕事でしょ
mami
mami
それはそうなんだけど、教師や福祉関係者だけでは、全くマンパワーが足りません!

子育て支援先進国には、コーディネーターという仕事があって、彼らは、教育機関、福祉機関、家庭等を絶えず廻って、あるいは連絡を取り合い、そこのニーズを掬い取り、必要な機関同士をつなぐということを専門にやっています。いわば「連携」の専門職。
こんなこと、日本では夢のようです。

かつて、特別支援コーディネーターという仕事が学校に導入されると聞いたときは感動しましたが、その感動冷めやらぬ間に、それは養護教諭や学級担任が兼務すると聞いて、倒れそうになりました笑。
コーディネーターという仕事は、本来、片手間でできる仕事じゃないのに。

すべては、教育福祉予算が、他の先進国に比べて著しく少ないことが原因……。
とはいえ、予算がなくて、そのせいでマンパワーがないことを嘆いていても、ゲンバはすぐには変わりません。
スクールソーシャルワーカー? 常駐していないとなかなか……。
だから結局、この国では、忙しい教師が主になって「教育と福祉の連携」を引き受けるしかないのです。

「教育と福祉の連携」のリアル

「連携」ってざっくり表現するけれど、具体的には、支援したい家族について、子ども家庭支援センター児童相談所の職員と、電話やメールで頻繁に連絡を取り合って、お互いにできることを話し合って、対策を練って、それぞれで実行して、それを報告し合って次の手を考えるっていう、時間の取られる、地道な活動の積み重ねです。
もちろん、活動にあたっては、その都度、管理職への丁寧な報告も必要。
教師も福祉担当者も経験が浅く、「家族支援」の手法や基礎基本をあまり知らなかったら、それについて学ぶことも必要です。

……ご存知の通り、勤務時間内にこれらをやる余裕はありません。
だから、休憩時間や退勤時間後を使ってやる。

でも、せっかく時間をかけて話し合っても、思った通りに先方の担当者が動けなかったり、学校側が期待するようなシステムが福祉現場になかったり、あるはずの地域リソースが活用できなかったりして、がっかりすることもあります。

あるいは、親御さんが支援を受けること自体にネガティブだと、タイミングも、声のかけ方も、とても難しい。
良かれと思って誠心誠意支援を試みても、うまくいかないことだってあります。
骨折り損のなんとやら…ってやつです。

授業や学級経営、校務分掌をこなしてから、さらにその上、これもやっているのに、骨折り損だなんて……。

そうなると、「教育と福祉の連携」に、後ろ向きな気持ちにだってなりますよね。
でも、やらなかったら、しんどい子どもはそのままになってしまう。
だから、「少しでも」と思う気持ちだけで、教師は今日もタダ働きを重ねてしまうんですよね。

家族支援」の手法や基礎基本についてはこちら
サイト「家族支援と子育て支援」

「教育と福祉の連携」から「いっしょにやろうよ」へ

支援の世界は面白くて、有料サービスを提供する専門家/スペシャリストや、理論を展開する学者より、無資格無償のボランティアの方が有効な支援ができちゃったりすることがあります。
逆に、「家族支援と子育て支援」に列記したような、支援の基礎基本を知らずにボランティアして、支援する側もされる側も不幸になってしまう例も。

このように、どっちにしろリスクがあるなら、もう、そのリスクを覚悟で、支援にみんなの力を総動員しちゃったらどうですかね……。
「個人情報」とか「専門性」とか、心配したり、難しく考えたりしたらきりがないと思うのです。
そもそも、一昔前なら、ご近所が、「個人情報」も「専門性」もお構いなしに、それがボランティア活動だと意識さえせずに、困っている身近な人を助けていたではないですか。
ご近所が喪失してしまった今、教育・福祉関係者に皺よせが来てしまっているようにも感じます。けれど、少ない教育・福祉関係者だけで、「家族支援」を担うのは限界です。

家族支援学「対等で親しい関係の上に支援は成り立つ」っていう言葉を、今一度かみしめて、「専門性」とか「役割」とかを超えて、そばにいる人みんなでなんとかできないものでしょうか。

教師と子ども家庭支援センターの職員だけでなく、PTAの親達も、クラスメートの子どもたちも、「家族支援」にまきこめたらいいのにな。
そうだ、「教育と福祉の連携」を言うだけの人も、こっちから誘ってしまえばいい。
散歩のついでに、帰宅途中に、心配な子の家の周りの様子を見てくれるだけでもいいから。

大島弓子の70年代の作品「あしたのともだち」の世界が理想です。
あのマンガのラストシーンでは、クラスメートが思い思いの方法で、主人公の高校生シングルマザーを助けようと集まってくる。いつ読んでも泣いちゃいます。

mami
mami
そっか。「教育と福祉の連携」っていう言葉自体がさ、ほんとうのことを見えなくするんだ。そんなふうに表現して、教育とか福祉とかっていうカテゴリの中にいる人だけに任せないで、たまたま困ってる人がいるから、みんなでなんとかしようっていう、シンプルな話にすればいいんだよ!

……今となっては夢物語なのかな。
でもあきらめないで、できる範囲でやってみようと思います。