不登校を考える その1 では、まず、現状を正しく認識することを目指します。
不登校は表層的な現象に過ぎない
誰かがくしゃみをしていたとき
くしゃみの原因を突き止めて、それを解決しなければ、くしゃみはとまりません。
それが、風邪によるものなのか、インフルエンザのせいなのか、アレルギー反応か、はたまた鼻に何か異物がはいってしまったのか、あるいはどこかで噂話をされたのか(笑)。その原因にふさわしい治療が必要。
対症療法でくしゃみ止めを施して、いったんくしゃみが止まったとしても、その根本原因がそのままであれば、それは完治したことになりません。
くしゃみだけに注目し、くしゃみをどうすればいいかばかり考えるのは、ナンセンスだと思うのです。
不登校は、くしゃみとおなじ。
それ自体が独立して存在しているわけではなくて
なんらかの起因、原因があって、その症状として現れているもの。
不登校は症状、つまり表層的な現象にすぎないのです。
だから。
不登校の数が増えたと大騒ぎすることは、
言ってみれば、
くしゃみをする人が増えたことにばかり注目しているのと同じ。
私にはそれが、ナンセンスに思えてなりません。
必要なのは、(現象に過ぎない)不登校に対応することではなく、
その原因となっていることがなにかをつきとめて、それにふさわしい対応をすることです。
増加じゃなくて顕在化
今の時代が特別つらいから、というより、単純に、世の中の空気が変わってきたことが、不登校の数に影響しているということはあると思います。
2020年頃から、時代の空気や行政的措置の変更によって、不登校の捉えられ方が変わってきました。
かつて登校拒否と呼ばれ、許されざることというイメージだった不登校。
だから潜在的な不登校予備軍は、生きにくさを抱えながらも、不登校にはなっていませんでした。
ところが、近年の意識変化で、不登校に対する風当たりが緩んできました。
不登校を問題視し、学校復帰一辺倒で考えるのではなく、
不登校を認め、むしろそれに対応するサービスが用意され始めたのです。
これを受けて、子どもたちが以前より
不登校しやすくなった、という面もあると思います。
つまり、
増えたのではなく、顕在化したのです。
そしてそれが、「急増」という結果になっているというわけです。
不登校の原因
では、不登校の根本原因には、どんなものがあるのでしょうか。
「いじめをふくめ、学校での人間関係が良好でないとき、不登校になる。もっと言えば、人間関係が不登校の原因のほとんどを占める。」と私の友人は断言します。
その意見に、私も強く賛成します。
人が集まる場所で人間関係につまずくことは、誰にでも起こりうること。このとき、もし自分や周りの人の力を借りてそれに対処できれば、不登校になる必要はありません。
けれど、子どもが発達障害や家族問題を抱えているとき、それがうまくいかない場合が多いと感じます。
発達障害
発達障害特有の感性や考え方が原因で、集団の中でうまくいくことができずに、生きにくさを感じている子が、そのしんどさに耐えかねて、不登校になってしまうというケースは多いと思います。
明確に診断がついていたり、明らかに学級で特異な行動をとったりする子はわかりやすいのですが、発達障害はグラデーションなので、人知れず、自分でもそうとは自覚していない子もいます。その場合は、不登校が発達特性によるものと見えにくく、子どもの「友達のせい」「先生のせい」「学校のせい」という自己申告に原因を求めがちです。
また、子に発達特性があるとき、その親も特性を持っていることが多いため、親子で同じような思考パターンに陥ってしまい、問題をこじらせてしまうケースも少なくないそうです。
家族由来/親子関係
おそらく、円満な家庭は人々が思っているほど多くはありません。放任、過保護、過干渉、夫婦仲の悪さ、険悪な家族関係、ヤングケアラー、介護問題、耐え難い貧困など、家族問題は多岐にわたります。一見円満に見える家庭も、いわゆる母(父)子分離不全や教育虐待的な要素をはらんでいることがあります。つまり、すくすく子どもを育てている円満な家庭などごく僅かで、ほとんどの家庭が、なんらかの問題を抱えていると言ってもいいかもしれないのです。発達障害が家族の問題を引き起こしていることも少なくないと思います。そしてその家庭環境が子どもの人間関係作りの巧拙に影響し、不登校という結果に至るのです。
一昔前なら、ご近所同士のつながりのなかでなんとかできてきた例も多かったかもしれません。現在(2025)は、マンション隆盛の住居形態の変化、共働きの増加による近所づきあいの減少等で、家族の内側、家族の事情が見えにくくなっているため、それが期待できなくなったということもあるかもしれません。
この文脈においては「親の育て方が悪い」という意見が盛り上がりがちです。けれど誰だって家族を不幸にしようとか、子育てを失敗しようとか、そう思っているわけがありません。たまたまうまくいかなかっただけで、誰も悪くないのです。原因を突き止めることと、誰かに責めを負わせることは違います。
その他
今ここに挙げた項目は、多くの人にあてはまる、予想できる起因原因であって、本来は、こういった知識をわきに抱えながら、その子その子を見ていく必要があると思います。彼らの理由の中には、上記の理由が複合していることも、上記にカテゴライズできないものもあるかもしれません。
数としてはごくごくわずかだと思いますが、上記のどれにも当てはまらず、才能に恵まれすぎて、学校の勉強が簡単すぎるという子どももいるでしょう。逆に、学校の勉強が全くわからない、という子も。
そういう場合は、元の学校に復帰するよりも、学校以外の、その能力に見合った学びの場のほうがふさわしいかもしれません。
不登校の原因?
ここでは、かつて不登校の原因として主流だった二つの説を挙げます。
今現在(2025)、私はこれら(↓)の説は、根本的な原因ではないと考えています。
学校原因説
最近減ってきましたが、不登校=学校原因説は、今も根強いように思います。
私も、「学校が楽しくなれば、いじめも不登校も防げるのでは」とずっと考えてきました。
けれど、もう何年も不登校について考えているうちに、どんなに学校が変わっても、不登校は起こると思うようになりました。
実際、私立の理想的な教育を掲げるオルタナティブスクールにも、インターナショナルスクールにも、公立の学校の、ほとんどの子が「学校楽しい」と口を揃えるクラスにも不登校は出現します。
なにより、もし学校が原因なら、もっとたくさんの子が不登校にならないと、つじつまが合わない。学校体験は、すべての子どもたちに共通のことなのですから。同じ環境でたくさんの子どもが生活しているのに、一部の子どもに症状が出ているなら、環境ではなく、症状の出ている子たち自身に注目するほうが自然です。
この文脈で行くと必ず、「そうは言っても、学校に原因がないとは言えない。学校が息苦しいのは問題だ」という意見が沸騰します。確かに、そういう側面はあるでしょう。でも、「学校の息苦しさが今より改善されるべき」という意見と「不登校の原因」と考えることとは切り離して考えることです。その「息苦しい学校」に機嫌よく(あるいはとりあえず)通っている子どもがマジョリティであることを、きちんと注視すべきです。
エネルギーチャージ説
「不登校の子は、心のエネルギーが枯渇している状態だから、寄り添って見守ってエネルギーがチャージするのを待ちましょう。」
というのが一昔前までの主流だったと思います。けれどそのさきに卒業後の「引きこもり」という結果が見えてきて、なおかつ、昨今(2025現在)のデジタルゲームの隆盛に伴いデジタル依存問題もでてきて、そうは言っていられない状況が生まれています。
というか、そもそも「寄り添い見守る」ことに勝算があったのかどうか……。
カウンセラーさんや相談機関は、どんな根拠をもってこれを推奨していたんだろう。時代の限界だったのかな……。
不登校を考える その2 (近日公開予定)では、不登校の原因にアプローチするアクションについて考えます。